いよいよ就活シーズンが始まります。去年コロナ禍をくぐりぬけて人気のトップサロンから内定を獲得した経験者インタビュー第1弾!関西エリアのOCEAN TOKYOに入社した松井翼さんです。内定を得るまでにどんな準備したのか、またどんな考え方でいたのかを聞いてみました。
(※3月20日取材)
−志望サロンを絞ったのはいつくらいですか?
松井「ボクは最初からOCEAN TOKYO一本でした。他に選択肢はなかったです」
−お店にはどのくらいいったんですか?
松井「30回以上行きました。ボクはもともとスポーツをやっていて、当時OCEANに行くたびに試合のこととかいろんな相談をしていたんですが、スタッフの方は何を言っても絶対に否定してこなかったんです。ちゃんと受け止めてくれる人たちでした。そうなると自分の中でOCEANが髪を切るためだけに行く場所じゃなくなっていたんです。気がつくと、ちょっと話聞いてもらいたいなとか、喝入れてもらいたいなという目的で行っている自分がいたんです。そんな体験をして自分もここに入りたい、美容師になりたいなと思いました」
−OCEAN TOKYOの関西エリアを受けたということですが、なぜ関西を選んだんですか?
松井「そもそも美容師になろうと思ったきっかけが、お客さんとして行った時に相談させてもらっていたのがスタッフの森田さんという方なんです。森田さんが大阪で勤務するタイミングでボクも大阪にカットしてもらいにいったりしていたくらいでした。やっぱり自分が信頼できる人、ついていきたいなって思う人のところで働きたいというのもあったので。そのほうがちゃんと将来自分が伝えられるものを作れるんじゃないかと思いましたし。それと大阪を受けるって言い始めたら、まわりから「なんで大阪なの?」ってたくさんいわれて、それが「大阪いけないの? 場所じゃなくない?」ってすごく悔しくて。例えば何も知らない人に無料で髪を切ってもらえるとしたら、原宿と大阪のどっち?って聞いたとしたら、多くの人が原宿って答えると思うんです。ボクはそれを変えたくて。場所じゃなくて人なんだよっていうことを伝えたくて。これから東京から大阪に来る人が増えるようにするのがボクの目標です」
−就活はいつ頃からで、どんな準備をしていましたか?
松井「OCEANは6月募集開始で、ボクは最初からOCEAN一本だったので、日ごろからOCEANぽくしようと思って過ごしていました。服装も、キャラも、セットも。直前ににわか仕込みでやるよりも、日ごろの意識づけ。自己ブランディングじゃないですけど……OCEANに入りたい美容学生は全国にたくさんいて、自分がしなきゃいけないことって、まずは顔と名前を一致させる美容学生じゃないとダメだろうというのがあったので、コロナの時期とかに自分のセルフセットをTikTokにあげたりもしていました。それがいろんな人に知ってもらえる機会になったし、原宿校の室井聖也くんたちと作った冊子(ベルエポック制作『WHITE』)もそうですし、自分のやっていること、行動とキャラを全て合致させるような活動に気をつけてやっていました」
−去年のOCEANTOKYOの応募は動画でしたよね?
松井「そうでした。めっちゃ焦りましたけど、1年生の頃から作品撮影をするときに動画も作っていたんです。自分なりにカッコいいなと思うようなものを。その上で、1分間の動画の中でどう自分を伝えるかをめっちゃ考えて、あえて大阪まで行って撮影しました。導入が肝心だと思ったので、最初の20秒間くらいは自分のPVみたいにして、カッコいいって思ってもらえるように。それから自己紹介をして」
−編集のスキルはあったんですか?
松井「もうやるしかないので。そこに全てがかかってるんで、調べるし、試すし。できることは全てやりました」
−それからどう進んだんですか?
松井「一次で3分の一落とされて、次がzoomで10人くらいずつのグループ面接で。OCEAN側は画面の向こうに全員いらっしゃいました」
−zoomでのアピールの作戦は?
松井「画面だし、その人の特徴や個性がより伝わりにくいと思ったから、言うことと、内容の着地点をしっかり考えました。それと質問には挙手して指名されたら答えるんですが、もう一番最初に絶対言ってやろうって気合いです。もうみんなバチバチだったし。質問されている途中で答えを想定して答えるみたいな」
−質問はどんな内容でした?
松井「めちゃめちゃ難しかったです。OCEAN TOKYOに入ってどんな存在に?とか、なりたい漫画のキャラとその理由は?とか。指名されてもテンパっちゃっている人もいて。ボクはインスタライブとかやってて、質問が来るのをすぐに答えを返したりした経験があったんですが、それをやっててよかったなって初めて思いました。しゃべりながら考えてすぐ返すとか。終わった後に、インスタライブやっててよかったーって思いましたね」
−zoomならではですね。その後のサロンワーク試験はどんな内容でしたか?
松井「技術的なアシスタント業務はできないんですが、美化だったり、雑誌出したりとか、できることをやります。パーマやカラーを待っているお客さまとのお喋りとか。基本的には邪魔にならないように、そしてお客さまにいい空間を作れるかが勝負だったんですけど……最終試験までいけばいくほど、入社試験あるあるかもしれないんですが、試験前日とかに「大丈夫かな?」って思っちゃったんですよ、不安というか。それが影響したのか、サロンワーク試験の前半、ボクはなにもできなくて。周りの受験者はお客さんに話しかけたりしていて、でもボクはもともとめちゃめちゃ人見知りで、全然話しかけられなくて。午前と午後にOCEAN TOKYO OSAKA店とWEST店で交代でやったんですが、午前はとりあえず鏡ふこうとかやっちゃって……。それで午後に入る前に休憩とかレポート書く時間があるんですが、そのときに携帯みたらインスタとかに応援メッセージがたくさん入ってて、それを見てスイッチ入りました。「こんな無様なことやってる場合じゃねーや、いかなきゃ!!」って、午後から気合い入りました」
−そんな経緯があって内定をもらった時の感想は?
松井「内定の連絡をもらえた日は、一緒にいるといつもいい知らせがくるという運をもたらすという友達と、たまたま一緒だったんです。試験終わって2週間くらい経つし、そろそろかなとは思ってて、そういえば今日こいつと一緒だから連絡がきてるといいなあと思ってぱっと携帯見たら、OCEANTOKYO OSAKAって番号が出ていて『え?』って、すぐ折り返したら内定って言っていただいて、手がガタガタ震えました(笑)」
−連絡が来るまではどういう心持ちなんですか?
松井「もう受かった体でいるしかないなと思って。ここで終わったと思って気が抜けたり、何もしないんじゃ、おそらくSNSも見られてるだろうし、そこは入社試験を受ける前と変わらず、しっかり今までと同じように活動して。やらないよりやったほうが近づくなと思っていたので。それをやっててよかったなと思いますね」
−見事に内定は得ましたが、それでも学生時代にやっておけばよかったってことはなにかありますか?
松井「ないです。聖也(室井)とボクはそうですね。これでダメだったらダメじゃね?ってくらいやれることは全部やってたので。後悔があったとしたら、入社試験受けられないです」
−学校の授業とかイベントは真面目にやりましたか?
松井「比較的真面目にやっていましたよ。成績が優秀だったかどうかは別として、授業も就職の関係で1日休んだだけだし」
−美容学校時代で心に残るエピソードはありますか?
松井「聖也たちと作った冊子『WHITE』は大前提としてあります。言っていたこと、ものが形になった、あれは美容学生としてやりたかったことなので。それまで学生だからとか、しょせん美容学生という価値観をすごく変えたくて。美容学生だってやればできるし、形にできるんだぞっていうことを示したかったので。ボクが編集長で、聖也が副編集長でしたけど、ボクとしては立場は同じだと思っているので、聖也がいたことで雑誌も円滑に進んだし、冊子自体の説得力が増すものになっと思っています。最後のOBからメッセージもいただけましたし、そういうことができるってベルエポックだからこそでした。学生時代のひとつのポイントにはなりましたね」
−後輩たちにメッセージを!
松井「学生って学校の看板を背負ってるわけで、学校生活やっていれば特に就活みたいなナーバスなときには学校に対する不満とか出てくると思うんですよ。でも学校に対して文句言う人に限って行動ができてないというか、自信がないと言うか。いま自分がいる場所に誇りをもってほしいです。そこにプライドがないと、なにもなりたっていかないし。ないもので表現はできないじゃないですか。あるもので表現するしかないのが学生だから。それが学生らしさなんだから。そうして日ごろから過ごすことだけでも生活の質って変わってくるし、考え方も変わってくるし、そしたら色んな人と会う機会も増えるだろうし、全て繋がってくると思うんですよ。自分の学校に、自分に誇りを持ち行動すると、いい道はできてくるのかなと」
−りっぱ! 落ちたらどうするつもりだったの?
松井「シャレにならなかったですね(笑)」
※インタビューは原宿校の室井聖也くんと同時に行いました。
取材・文/三浦伸司(CHOKiCHOKi)
撮影/藤村徹